紅茶の歴史を辿っていくと、はるか昔までさかのぼることになります。
歴史を語るにはとてもじゃないですが、ブログの1記事で書ききれるようなものではなく、余裕で厚い本1冊出版できるくらいの莫大な量です。
そのため、ここでは概要だけをかいつまんで紹介したいと思います。
目次
紀元前~12世紀
時は遡ること紀元前・・・。
古代中国に『神農』という医薬・農業を司る伝説の人物がおったそうな。
当時の人々は色々な物を口にし、病を患ったりしていました。
神農は、何が有害で、何が無害で、何が薬となるか、ということを見分けるため、自らあらゆるものを食していました。
ある日、神農は毒をもった草木を食し、苦しんでいた際、ある葉っぱを口にしたところ、みるみる回復したそうな。
まだ続きがあったのに・・。
とりあえず最初は薬用として茶が飲まれていたんです。
実際に飲料用として一般的に中国に広まったのは6世紀前半頃からと言われています。
そして8世紀後半頃に陸羽という人物が世界初の茶の専門書『茶経』を記しました。
日本においては『日本後紀(9世紀前半)』にて初めて喫茶に関する内容が描かれています。
茶、としての日本最初の著書は栄西が『喫茶養生記』を記し、源頼朝に献上しています。
この頃までは、まだ、「お茶」としての状態ですね。
17世紀~
紅茶がなぜ生まれたのか、ということについての有名な説があります。
「中国からヨーロッパに船で茶葉を運んでいたときに、茶葉が発酵して偶然のたまものとして紅茶になってしまった」という説は有名ですね。
これについては否定派が多数を占めていますが、可能性としてはゼロではない、という説も未だに根強いです。
当時を想像しながらこういう説を思い描くのは面白いですよね。
さて、どのような状況を経て紅茶が生まれたかは別にして、17世紀後半から『紅茶』というものが本格的に動いていきます。
18世紀前半にイギリス東インド会社が中国からの茶の輸入を独占し始め、ヨーロッパでは紅茶を飲む習慣が徐々に浸透していきます。
ところが1773年、ボストン茶会事件が発生しました。
アメリカの植民地人が、東インド会社に茶の専売権を与える新しい法律に反対して、ボストン港で東インド会社の茶箱を海へ投げてた事件で、これはアメリカ独立戦争のきっかけにもなりました。
19世紀前半にはインドのアッサム地方で新しい種(後のアッサム種)が発見され、アッサムの生産も盛んになってきました。
そして1840年勃発の「アヘン戦争」。
実はこれも紅茶と大きくかかわりがあるんです。
ここでは語り切れないので、ぜひ本を読んでみてください。
えっと(汗)、さて、日本ではどうかというと、こちらの記事でもご紹介しましたが、18世紀後半に「大黒屋光太夫」という人物が日本人が初めて海外で正式な茶会で紅茶をいただきました。
実際に日本へ紅茶が輸入されるようになったのは19世紀後半頃からです。
1971年に日本で外国産紅茶の輸入が自由化されてから、本格的に日本でも紅茶が浸透していきました。
今でも基本的に輸入品が大部分を占めますが、日本で生産する紅茶なども元気を取り戻してきています。
紅茶の歴史を辿ると、色々な国との関係や、紅茶を通しての複雑な繋がりも見えてきて、とても面白いです。
書籍をご紹介するので、皆さんもぜひ、ご覧ください。
まとめ
如何でしたか?
紅茶にも長い歴史があって、紆余曲折を経て、現在にいたります。
今も紅茶は伝統を守りつつもいろいろな進化を遂げています。